金を食う犬

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長く南米を回ろうとする旅人がだいたい立ち寄る場所があります。
それがここ グアテマラにある古都 「アンティグア」です。

歴史情緒漂う山間の静かな街に続々とザックを背負った怪しげな人間たちが集結。
なぜかというとここのスペイン語学校の授業料が桁外れに安いのです。
旅行をより充実したものにしようと難解なスペイン語に挑む旅人達。

でも語学を短期間で学ぶって並大抵の努力ではできないです。
始めの数日は誰しも真面目に取り組むのですが、
そのうち周りにたくさんいる脱落した楽しげな旅人の輪に引き落とされていってしまうのです。

そりゃ勉強よりも夜飲んで踊って騒いでる方がどれだけ楽しいことか・・・。

僕も滞在2か月間でかなり誘惑には抗い続けたつもりですが、
最後はやっぱり夜の飲み会とサルサに夢中になっちゃいましたね。
遊びに行ってたんでいいんですけどね。

今回はそんなアンティグアで起こったある不思議な事件を聞いてください。

滞在中僕はより現地人との会話の機会を増やすため、
ある一般家庭にホームステイしながら学校に通っていました。

市内で雑貨屋さんを営むその家庭はもう今までに何人もの旅人を引き受け、
僕たちの扱いにはすっかり慣れっこ。
慣れ過ぎてほとんどかまってくれなくて寂しいくらいでした。

あてがってくれた部屋は1階の奥の小さいベットと机のある部屋。
初日から気になっていたのが扉の鍵がないことでした。
しかし疑い出したら旅なんて続けられないのが中米。

昼間は荷物は当然そこに置いておき毎日お出かけしていたのですが、
学校帰りのある日。
部屋に入ってびっくり!

明らかに僕の荷物が動かされていたのです。
しかもベットの上には現金のドルを入れた貴重品入れの腹巻が放りだされていた。
慌てて中身を確認するとすべてではないのですがかなり抜かれてる!
や、やられた~!

速攻で家族に説明しに行くと慌てて部屋にやってきた。
そして現状を見ながら家族みんなでなにやらひそひそと話しだしたのです。
もちろんまだまだ何を言ってるのかは分からない僕。

「泥棒か?」
と聞くと いや泥棒ではない と断言。
昼間は常に人がいるのでここまで入ってくることはできないのだ。

実は僕には一人目星をつけているヤツがいたのです。
この家の3兄弟のお兄ちゃん。
どーも初日から彼と馬が合わなかったのです。
もちろんそれだけで断定はできないのですが、
おそらく家族も身内の犯行を疑っているような雰囲気でした。

しかしそれをはっきりと言い出せない理由があるようです。
この生徒受け入れは彼らにとっていい小遣い稼ぎ。
ここで変な噂を立てられては次からの受け入れに問題が出るのでしょう。

しばらくひそひそ話していた父親から、
ついに衝撃の説明が飛び出したのですっ!

「リョウ ほんとにすまなかった。犯人が分かったよ・・・。
 お前の金を取ったのは、いや食ったのはこいつだ!」

指さされた先にいたのはこの家で飼われている大きくて白い犬。

はーーーーぃ?

「ちょっと待て。犬は扉開けれないでしょ!」

「いや、こいつは開けるんだ」

「腹巻のチャックも開けられてるんだけど!」

「いや、こいつは開けるんだ」

「犬がお金を食うわけないだろ!」

「いや、こいつは食うんだ」

あまりのバカな言い訳に興奮してしまい、
結局一旦みんな引き上げてもらい僕一人にしてもらった。

しばらくじっと考えてみる。
この家はちょっとやばいな・・・。
新しいとこに替えてもらおう。
そう決意したその時。

激しくドアがノックされる。
そこには勝ち誇った顔のお父さん。
そして得意げに手に持っていたものを見せてくれた。

それは・・・、
犬のうんち。
しかも中にはまだ新しい紙幣が丸めて埋め込まれていた。

「見ろ!金が出てきた。これが証拠だ!」

いやー、
それあんた、そこまでやるか・・・。
こりゃある意味もっとヤバい・・・。

そしてはっきりと明言しておくと僕が取られたのはドルで、
うんこにねじ込まれていたのは現地通貨のケツアールだったという事実。
なんて甘すぎる詰め。

もはや失ったお金の事よりもここに滞在し続けることの方に強く恐怖を感じた僕は、
翌朝速攻で学校にお願いして家を替えてもらったのです。

突如犯人に仕立てられた犬ちゃんには悪いことしたな。
お父さん犬がうんこするまでじーっと待ってたんでしょうね。
ある意味スゴイ執念だ。

ただ当然取られた金額分はうんこネタでその後かなり笑わせてもらいましたよ。
ありがとうございましたー。

この情熱の街アンティグアではまだまだいろんな人間の情念に巻き込まれたなー。
またいつかその辺は機会がありましたら別のお話で・・・。

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若く美しきあの頃よ・・・

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人生という長い長い迷路のまさに入り口に立つ学生時代。
誰もが将来のことはもちろん今の自分自身さえ確立できずに、
悩み迷う混沌としたあの頃。

そしてあまりに自分を見失いすぎた僕たちは、
ついに性別さえも分からなくなってしまったようです・・・。

これは大学祭の女装大会での一コマ。
みんな目一杯おしゃれしてセクシービーム出しまくりで自信満々で舞台に立つ!
どうですか?!この美しさ。
ちなみに腹だしルックスの美魔女が僕です。

しかし時代はまだまだこんな僕たちを受け入れてはくれなかった。
結果は大惨敗・・・。

そして迎えた翌年の大学祭。

1年間スポンジのように世の中の善悪を吸収した僕は、
昨年の失敗の原因を探求し、さらに緻密に計算を重ね、
導き出した完璧な答えのもとこの鬼門である女装大会に再び挑むのです。

その結果は・・・、
みごとに 優勝っ!!
やったっ!!

その時の麗しき姿が、

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これだっ!

え?
どれって・・・、
この一番左の物体ですよ。
(写真は女装大会後のうどんかなんかの早食い大会のもの)

そう。
分かったのです。
大学祭でだれも美しさなんて求めていないのです。

ちなみにこれは手作りのミニーちゃん。
みためはかなり雑ですが結構時間かけてます。

一番のセールスポイントはミニミニスカートの下からちらっとこぼれる際どいパンツ。
ですかね。
このころは髪が腰くらいまであったので黒く丸めた耳は地毛ですよ。

2年目にして登りつめた頂。
こうしてこの世界からは無事に引退したのです。

しかし、
一度手を染めてしまったこの危険な世界の誘惑を振り払うことは、
なかなかできなかった。

それは大学時代最後の卒業式の日。
この晴れの舞台に再びうずきだした悪い虫。
だ、だめだ・・・。
我慢できねぇ~・・・。

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そのやっちゃった写真がこれです。
朝から美容室にまで行って整えた髪。
そして彼女に塗ってもらった化粧。

背広と袴の男性軍の中で輝く紅一点です。
完全に浮いちゃってましたね。
まーでも学生ですから!
なんでもありありでしょう!

ちなみにもうこの悪癖は完全になくなってます。
人間年と共に確実に成長していくんですよ。

今はただこの妖しきDNAが息子の中に流れていないことを願うばかりです。

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インカトレイルの悲劇

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僕が人生で行った2回目の海外旅行は大学3年生の時。
もっぱら国内旅行専門でほとんど興味がなかった海を越えた世界を目指したのは、
その時周りの友人たちが立て続けに世界に出ていくのをちょっと妬んでいたからでもあります。

なので周りのみんながあまり行ったことのない南米を選んだのも、
そんな自尊心の表れだったのかもしれません。

この時向かったのはペルーとボリビア。
全く話せないスペイン語、いや英語もほんとダメで、
「言葉はボディーランゲィッジで!」を体現するような旅でした。

まぁーしかしそこは何でもアリの若さゆえどーにでもなったのですが。
沢山の出会いや経験を味あわせてくれたこの大陸で、
一番思い出に残っているのがやはりここ「マチュピチュ」です。
もはや世界遺産群の大エースとして誰もが知る場所ですよね。

当然僕もクスコという街からこの天空の要塞へと旅立つわけなのですが、
現地で面白いツアーを見つけたのです。

それは昔のインカの山道を3泊4日でキャンプしながら歩き、
最終的に山側からこのマチュピチュに辿り着くというもの。
なんてワイルドで楽しそうなツアーなんだ・・・。

一瞬にして心奪われた僕は即旅行代理店へ。
しかしもう価格は忘れたのですがそのあまりの高額っぷりに、
まだ一学生の身分であった僕はびっくりぎょーてん!

いかん!たかが山歩きにこんな額出してられん!
よし。こうなりゃ一人で行こう。
寝袋も持ってきてるしなんとかなるだろう。

そうして地図も前知識も何もない若者が一人、
無謀にもこの山深いインカトレイルに挑むことになったのです。

食料だけはたっぷりと買い込みいざ電車でクスコをスタート。
この電車は最終的にマチュピチュのすぐ下の街まで繋がっています。
仕入れた情報によるとトレイルのために降りるのは途中の「88」という名の駅。

しかしここで大いなる不安が押し寄せてきます。
駅に着くたびに流れる車内放送が・・・、分からない・・・。
いくら集中するも全く聞き取れないスペイン語に焦る心。
しかしここで思わぬ救世主が現るのです!

なんと車両の4つ程奥の席に大きなザックを抱えた6人組を発見!
あれは間違いなくツアー参加者達だ。
そう確信した僕はそれ以降一時も目を離さず彼らの動きに注視。
まだか?まだか?と待ち続けているとついに彼らが動いたっ!
よっしゃ!間髪入れずに僕も後に続く!
しかしちょっと待て・・・。
なんか他の乗客も全員降りてるんですけど。

これは・・・、まさか・・・。
なんと彼らはただ単に大きな荷物を持っただけのただのマチュピチュ観光客だったのです。
だ、だまされた~。

そう。ここは電車の最終駅。
インカトレイルの道を全て素通りしてなんと早くもマチュピチュに辿り着いてしまった僕。
一気に肩にかかる荷物の重量は増え、あえなく膝から崩れ堕ちる・・・。

やっちまったな-。
しばし立ち尽くすも来てしまった以上はしょうがない。
なにはともあれマチュピチュを堪能しよう。

もう20年前の話ですがそれでもこの世界遺産には、
世界中から溢れんばかりの人が集まっていました。
切り立った崖の上に建てられた壮麗な石造りの街は圧巻の一言!
これは来た甲斐があったよ~!
長い長い時が完全に止まった世界、いつまでもいれるぞここ。

しかしこのマチュピチュは夕方5時になると完全に閉門されます。
そして観光客は再び下の街まで戻っていくのです。
ある者はそのまま電車でクスコに戻り、ある者は街で1泊してまた明日ここに来る。
さーて僕はどうしようかな。

その時僕の脳裏にある悪巧みがキラーンと閃くのです!
ちょっと待てよ。
今背中に背負っているのはどこでも夜を過ごせるだけの装備品たち。
これを活かさない手はないだろう。
昼間の失敗は今この瞬間の為の導きだったのだ!

よし!やってやるぞ。マチュピチュ1人お泊り大作戦!

徐々に観光客が帰り始める頃、
まず僕はこの広い敷地を歩き周り身を隠す場所を探します。
そして少し離れた誰も来なさそうな場所で息をひそめる事小一時間。

ついに誰もいなくなりました。
昼間は人の渦に巻かれていた遺跡たちが見せてくれた本当の孤高の姿。
ゆっくりと暗くなっていく中でこの世界遺産を独り占めするとんでもない贅沢。
今思えばたまらなく濃厚な時間でした。

そして1人で心ゆくまでマヤの深い歴史に包まれ、
かつての世界に思いを馳せながらの就寝。
zzzzzzzz。

しかし、日が昇ってきたであろうかどうかの早朝。
突如聞こえた山鳴りのような歓声によって起こされたのです。

気が付くと周りは白人20人程の大グループ!
みんな異常にテンション高いぞ。
ひたすら僕に何か話しかけるのですが寝起きの僕とテンション違い過ぎて理解できない。

どうやら彼らこそが例のインカトレイルツアーの参加者だったようです。
朝一で着いたグループが到着の喜びに大騒ぎしていたみたい。
よく分からんがお前も一緒に喜ぼうぜ!
みたいなノリにどこかバツが悪い僕はそそくさーっと荷物をまとめグループから離脱し山の方へ。

しかしここから山手のほうから次々と別のツアー者たちがやってくるじゃないですか。
その度にあれ?お前もマチュピチュに向かうんだろ?的な事を言われて苦笑い。
こりゃたまらんと思い、一本下の方に伸びている道を辿り降りていくことにしました。

これでどっかの街に下りれるだろう、
なんて甘いこと考えて歩くこと数時間。
よく思い出せ。
電車に乗ってた時他に街なんてあったか?

それでもずっと続く道を信じて歩き続ける。
右も左も分からない異国の山中で完全に迷子です!
こりゃーマジでやばいと焦り始めた頃、目の前に文明の欠片を発見。
電車のレールだ!
助かった~!

そしてレール脇をひたすら歩くこと再び数時間。
身も心もくたびれ果て、再び太陽が低く傾き始めたころやっとある駅にたどり着いたのです。
そこにいた物売りのおばさんに教えてもらってびっくり!

この駅の名は   そう「88」駅。
ここだったのか・・・。
数奇な運命を感じながらもここから最終のクスコ行の電車に何とか乗り込み、
マチュピチュ1泊2日の旅は終わったのです。

ただルートと順番は違えどきちんとインカトレイルツアーと同距離はやり切りました。
秘密の体験もできたしね。
かなり危険と隣り合わせでしたがこれぞ「結果オーライ」ってやつでしょう。

あれから益々人気に拍車がかかってるとよく耳にするマチュピチュ。
いつまでもあの神秘を失くさない要塞として後世に引き継いでいってもらいたいものです。
長い長い文章 お付き合いありがとうございましたー。

湯布院カントリーロードユースホステル  

選び抜かれた精鋭たち

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期待と不安を抱え降り立ったメキシコの地。
ここから南北アメリカ大陸を縦断する長い旅が始まった26歳の秋。
約1年という長丁場をいつでも一緒に乗り越え支えてくれたのがこの荷物たちです。

最近のお客さんの中にはとんでもない重さのスーツケースを2つと背中にリュック。
そしてさらに手にも手さげカバンなんて大所帯の人もいたりしてびっくりしたりするのですが、
またその滞在期間が1週間とか聞いたりして2度びっくり!なんてことも多々あります。

いらないのです。
旅に日常はいらないのです。

いつも使ってる化粧品。
いつも使ってるドライヤー。
いつも使ってる枕やいざという時の着替え等々・・・。

すべて置いてきてください。
「いつも」から離れてください。
それが旅なのです。

この時僕のザック容量は45L。
1年の旅の荷物とは思えぬ小ささ。
しかし僕の旅の本気はその中身にあるのです。

僅かな容量のザックの中で一番場所をとっていたのが、
ずばり「サッカーボール」です。
さらには「スパイク」そして「空気入れ」それとなぜか「フリスビー」と「手品セット」。

これらの娯楽品がザックのほぼ半分近くを占拠。
残りの僅かなスペースに服や歯磨きなどの日常品が申し訳なさそうに入ってました。
もちろんパソコンや音楽機器なんていうデジタル品は全くなし!

持って行ったパンツはわずか3枚です。
これを前後裏表で4回完全使いまわした後はすかさず洗濯!
これでやっていけるのです。

ただ一見まったく無駄のように見えるこの娯楽5点セットですが、
どれほど僕を助けてくれたことか・・・。

当然ながらサッカー王国南米において、
サッカー程雄弁に友情を語り合う術はありません。
サッカーボールのおかげでどこに行っても誰とでもすぐに友達です!
ほんとに助かった。

そしてそこらで知り合った子供達には日本の技術の粋を集めた100均の「手品セット」が大活躍!
なにせこれには言葉はいらない。
日本では軽く笑い飛ばされそうな幼稚な手品も、
純粋な彼らにとっては異国からきた真の魔術なのです。
一つ一つのつたないショーに有頂天外!

そして意外にも役に立ったのがフリスビー。
まずこれを背中に入れることによって背中に当たる部分がまっすぐになってとても都合がいい。
そして欧米人がこれ好きなんですよね。
ビーチとかで一人で遊んでると続々集まってきてちょっと大盛り上がりです。

ただ最近は海外からのお客さんから学ぶことも多々あります。
彼らは限られた自分の荷物の中に必ずと言っていい程おみやげを持ってきてるのです。
おみやげって買って帰るものじゃないですか!?日本人にとって。
彼にとっておみやげとは旅の間にお世話になった人に逆にあげるものなのです。

素晴らしき感謝の心。
僕も今までたくさんのおみやげをいただきました。
韓国海苔・コアラの人形・ピンバッチはたまたフランスワインまで!

残念ながら当時の僕には他人に感謝の意を表す余裕はなかったです。
でもこれから世界に旅立っていく若者たちにはぜひこの世界の文化を見習ってほしい。

かさばらないお箸とか扇子とかでいいのです。
折り紙を持っていて鶴を折ってあげてもいいのです。
筆ペンを持って行って名前を漢字の当て字で書いてあげるだけでもいいのです。

「日常を捨てて旅にでる」ということと「旅先の人に感謝する」という2点。
少々今回はオヤジの説教くさい話となってしまいましたが、
これを心に秘めどんどんと新しい世界へと旅立って行って欲しいものです!

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我が愛しのセイヤバー

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アフリカで汗水たらして働いていた若かりし頃。

ちょうど僕たち農業系の日本人の協力隊員は、
サハラ砂漠の端に位置するサヘルの中でそれぞれ別々の村に住んでいました。
その中で一番大きな村の横にあった事務所に集まりそこで打ち合わせや準備をした後、
またそれぞれが現場に出かけるという毎日でした。

その事務所の入り口にはガードマン一家が暮らしており、
働いた経験が全くなく現地のアフリカ人達に対して教えることがほとんどないために、、
他の隊員たちと比べても仕事時間がぶっちぎりで短かった僕の、
心休まる居場所の一つがそんな彼らの家でした。

仕事前や仕事終わりなど暇を見つけては立ち寄ってウダウダしていたのですが、
僕そんなのハートを鷲掴みにして離さなかったのがこのちっさいアイドル
「セイヤバー」です。

黒人の赤ちゃんって目がくりくりして超絶可愛いんですよ。
見てください!この吸い込まれる汚れ無き瞳!
照りつける太陽のおかげでジリジリと日々消耗していく体力と情熱。
でも彼女のおかげで毎日ハッピー充電できてました。

彼女は僕が赴任してすぐに産まれたのですが、
ママはアイシャという名前でみんなからアイちゃんと呼ばれる人懐っこい人気者。
とっても陽気で旦那の3倍はあろうかという大きな体格の娘でしたが、
年は僕よりも若かったです。たしかまだ10代だったかな・・・?

ある日彼女は食事の時に使うでっかい木材をどっかから拾ってきて、
近くの木の又に引掻けてそれを自らの体重でメキメキと折って使ってました。
僕がそれを見てびっくりしているのを見ては、
また一人でケタケタと笑い転げていたものです。

そんなワイルドなアイちゃんを見た数日後のことです。
なんと突然のセイヤバーがこの世に登場!
なぜゆえぇぇっ~!

ありえないとは思うのですが、
なんと旦那さんも周りのだれも本人さえも妊娠しているのに気付かなかったというのです。
僕も「アイちゃんでっかいなー」と思っていただけでしたから。

さすがはアフリカですね。
もうこの大陸の辞書には常識という文字はどこにもない!

産まれる直前までバリバリ働きまくってましたからね。
アフリカの女性のパワーは底なしっす・・・。

そうして突如現れたこの天使は誰しもを癒してくれ、
沢山の日本のおみやげを手にしてました。

彼女もまだ生きているならもう19歳くらいでしょうか。
きっと一人前のすっごい美人さんになってるはず!

ちなみに僕が住んでいた村でも当時生まれた男の子がいて、
その子の名前にはなんと「リョウ」という名がつけられたのです。
光栄ですねー。

大人まで生き続ける確率がかなり低い土地ですが、
いつの日か元気なセイヤバーやリョウに会いに行きたい!
といつも思ってはいるのですが今のこの体力で行ったら確実に死ぬかな・・・。
エボラも危なそうだしな。

だけど夢は諦めていません。
いつの日か・・・。
あの温かい笑顔に会いに戻る。
という希望を心にしまい込み今日も頑張って働きましょー。

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